撮影の差別をなくしたい

InstagramとかTwitterもそうですけど、ポートレートを撮影しているアカウントの人増えてますね。被写体やりますって人も増えてます。

なんというか、、

 

この間Twitterに

「美しい人を・・って差別じゃないかしら」
という投稿をしました。

 

いや、この間見たのは
「美しい人を美しく撮影するために練習してます」的な感じの人がいて、、言わせてもらえば美しい人は美しくなく写らないんですよね、よほど変な顔してなければ(笑)

いや、ほんとキレイな人っていますよ。なんなら芸能人なんかより一般人の方がよっぽどキレイだと思ってます。それはやっぱり芸能人をみて「あの人みたいにキレイになりたい」という努力の賜物だと思います。

 

撮影してほしい、または撮影してみたいって人は増えてきたかもしれませんが、陰でその機会をあきらめてしまってる人もいるかもしれないわけで、、

「自分美しくないし…」って人に喜んでもらえる技術ってのを磨かないとダメなんですよね。
それはカメラの知識や技術だけじゃなくコミュニケーション力とか色々絡んでくると思うんですけど『みんなキレイだな。私なんて無理だな。。』なんて人もいると思いますよ。
自分なんて写る価値ないと思ってるから写す側なんですけどね!

 

そんな私がいうのもなんですが、
長年写真を撮ってきた私から言いますと、、

今のこんなにカメラが溢れている時代、ポートレート写真も溢れている時代の役割ってのはそういう事ではなく、自分に自信を持ってもらえる材料になるべきだと思うんです。

気取ってポーズを付けて撮る写真もちょっとあれですねー。
日常の生活感が溢れる写真が本当はいいと思うんですよね。

 

それに別に人間顔だけじゃないし、むしろ私は顔は写真的にいらないんじゃないかと最近思っている人なのでギャラリーを見ていただいても顔はちゃんと写してないんですね。

 

顔は溢れかえってる時代。これから先は顔は二の次の時代になると思うんです。

 

えぇ、私思ったことはけっこう現実化します(笑)

 

だいたい人間て完璧な人はいなくて、顔がよかったら全体的にいいかというとそんなことなくて、逆に言ったら手がキレイとか脚がキレイとかおしりが上がってるけど顔に自信がないとか、そういうところあると思うんです。

 

顔がキレイだったら写真映えするかもしれませんが、思うんですけどそれって化粧もありますよね。化粧してない顔がキレイな人がキレイな人だと思ってます。だから私は顔を撮るならスッピンかほんの薄化粧じゃないと乗り気になれないなー。

スッピンこそがその人が作り上げてきたもの。眼鏡かけてる人が眼鏡を外したときにやっぱり眼鏡外した顔というか目になりますよね、ちょっと特徴的な。化粧している人もそういうのあると思います。

 

と、ちょっと自分的に少々熱く書いてしまいました。止まらない。
こういうの語れる人も欲しいですね。

 

次回作も考えているのですが、とりあえず顔を出さないポートレートというのは続けて考えています。テスト撮影や練習を兼ねて撮影させていただける方はぜひ連絡ください。ただし、近場の方に限らせていただきます。。

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